瞑想の発端
投稿者:今西和彦
こんにちは、今西です。
前回に続き、瞑想について。
自分の瞑想の発端を考えていくと、幼稚園が仏教系で、
日課の様にお堂で座禅タイムがあって、
週末は熱心なカトリックの祖母に連なって教会でミサ。
そんな年頃で、神父や僧侶のありがたい説教は、
はなからわかるわけもなく、
内省の時間を与えられたところで、
考えるのはお堂の下の泥団子の仕上がり具合や、
祖母と一緒に食べるお子様ランチのおまけのことぐらい。
それでも、お堂や教会のガランとした空間の心地よさのようなものだけは印象に残っていて、
いつしかその心地よさのようなものが瞑想空間と言えるようなスペースを心の中に設けた感じ。
だからといって、その空間は取扱注意って感じもするので、考えものだけど。
よく、「ショックなことがあって胸にポッカリ穴があいた感じ」なんて言い方して、
とりあへず嘆き悲しんだりするけど、そんなときに、
さっきの瞑想空間みたいなガランとしたスペースが自分の中にあると、
そのポッカリ穴をそのまま瞑想空間に見立てて、
事態を一時しのぐことだって出来そうな気がするので、
ぜひ、自前の瞑想空間を用意されたらいかがかな、って思います。
ここまで読んだ女性はお腹のあたりを指さしながらきっとこう言う、
「女は最初から瞑想空間は持ってるの、
それがない男は、外に外に大げさなものをつくろうとする」。
ちなみに、幼稚園を卒業する直前に左ひじを複雑骨折して、
3か月も個人の外科病院に入院して、
ここでも新たな瞑想空間が手に入るはずだったんだけど、
ここにはナースの〇ちゃんや隣室の△姉ちゃんなどがいて、
とても無理だったな。




