富士さんのこと
投稿者:今西和彦
こんにちは、今西です。
富士山は個体として大き過ぎるせいか、
少し距離感が取りにくい。
もちろん、普段の生活で常に富士山と距離感を取って
生きてるわけではないが、
都内でも、ふと視界に入ることがあって、
新幹線からチラ見するよりやけに迫ってることがある。
近づいてる、絶対ちょっと動いてる。
大爆発なんかよりじわじわくる感じで怖い。
夕焼けに紅く映えている時などは、周囲もざわざわしてくるし、
ちょっと逃げたくなることもある。
もちろん、その逆もあって遥か彼方、靄や雲間に見えるときなどは
ありがたみもちょっと増すし、安心して眠れそう。
こんな話、富士山に間近に接している人などには馬鹿げた話のように
聞こえるかもしれないが、身に覚えがある人はいると思う。
どういう理由でそう見えたり、感じたりするのかはわからないけど、
霊峰なんだから、そういうこともあるんだろう。
今も昔も、富士山頂の御来光は人気で、一度は行ってみたいが
高尾山のミシュラン人気と同様、思いのほか人が多そうで、
とか言いながら、なかなかその機会をものにしていない。
この国は、天より照らす大神と遍く照らすお大師様が人気の国なのだから、
漏らさず御来光は降り注いでいるはず、
今のところは、練馬御来光や、板橋御来光で十分だ。
出来れば、樹海で崩れ落ちそうになっている人に
木洩れ陽程度でも届けばいいな、とは思う。
ここまで書いてくると、少し富士山を軽んじているように
思われるかもしれないが、そんなことはない。
ただ、山について思いはせるといつもこんな曲が頭をよぎってしまう。
♪ 一つ山越しゃホンダラダホイホイ
も一つ越してもホンダラダホイホイ
越しても越してもホンダラホダラダホイホイ
どうせこの世はホンダラダホイホイ
だからみんなでホンダラダホイホイ
~続く
『ホンダラ行進曲』
歌手: クレイジー・キャッツ
作詞:青島幸男
作曲:萩原哲晶
ふざけてるわけじゃなくて、ホンダラ=補陀落、
かの有名なスーダラ(=首陀羅)節も中世仏教信仰の含みがあって、
それも植木等が寺の息子というインスピレーションのもと、
歌詞が作られた経緯があったわけで...
ちょうど時間となりました。
山岳修行は向いてなさそうなので、
次回は、海からアプローチかな。




